topback09-00

つくつくランド(園だより抜粋)

在園児保護者の方々に毎月配布されている園だよりの中から抜粋で、園長川崎が独特の教育観を語っています。
大いに幼稚園教育論を語り、そして現在の保護者の方々を叱り、励ましています。
頑張れ!つくしの幼稚園の保護者のお父さん、そしてお母さん!!(By川崎)

◆ 各月ごとのつくつくランド抜粋へは下記 ↓ のそれぞれの月をクリックするとジャンプします。

                        

2017年 10月

朝晩はだいぶひんやりとしてきました。日中も吹く風がとても心地良く感じられます。
運動会はもちろんのこと、戸外での活動には絶好の時期です。天気の良い日には外でのあそびや園外保育をたくさんして、子どもたちの「動線」をうんと広げてやりたいと思います。
今月からは園生活の後半に入っていきます。一人一人の成長を大切に見守り、育んでいきたいと思います。ご理解、ご協力のほどを。

さて今月は“父親の七つの行動”―お父さん、今こそあなたの出番ですー七田眞著海竜社より「お父さんなら、子どもがどのように育つことを望みますか」を紹介します。

アフリカ系アメリカ人のルース・シモンズさんは、テキサス州の、ある貧しい農夫の娘でした。ルースさんの母親は、彼女が小さなときから、このように言い聞かせていたと言います。
「人間として、正しく生きていくことが大切です。そのためには、次の三つを忘れないようにしなさい。
・人間的な強さを持つこと  ・道徳心を持つこと  ・人間関係を大切にすること」
彼女は母親の言葉をしっかりと覚えていて、何事にも全力をあげて、一生懸命取り組みました。そしていつしか、学問をすることで身を立て、社会に役立つ立派な人間になりたいと、思うようになりました。それは周りからの称賛や、ただ単に教養を身に着けるためではなく、母親の教えを目標に頑張ったからだと言います。
ルースさんは、十二歳のときすでに、「いつかは大学の学長になりたい」という夢を持ち、そのとおり、女性でありながら、黒人でありながら、マサチューセッツ州の名門女子大学、スミス・カレッジの学長になったのです。

ルースさんを学長に選んだ、スミス・カレッジ学長選考委員会は、選考の理由をこう述べています。
「最も可能性のある人物に、最もその可能性を発揮できる役を任せたかったのです。彼女の可能性とは、その強さであり、優秀な学問実績であり、人間的魅力です。」
ルースさんの例は、子どもの成長に、親の教えや態度が、実に大きな影響を及ぼすこと、小さい頃から大きな志を持って努力することが、いかに大切であることを示唆しています。
ルースさんは、小さいときから母親に、人間として正しく生きる道や道徳心を教えられ、大きな目標を持って頑張ったがために、大成したのだと思います。人は誰でも、いい人生を生きたいと願っています。幸せになりたいと思っています。まして親は子どもに、いい人生を歩んで欲しいと切に願っています。
しかし、とてもいいとは言えないような人生を歩む人、自ら破滅の道を選んでしまう人も少なくありません。なぜ、そのような誤った道を選んでしまうのでしょうか。
この本でたびたびお話ししているように、子どもの人格は、ごく幼い頃に形成されます。親がどのような人生観や哲学を持って、子どもに接し、教えていくかによって、その子の人生を左右しかねないのです。子どもの人格や能力は、親の育て方によって、生まれてからどんどん、差がついていってしまうものなのです。
「まだ小さいから、わからないだろう」と、生きる道を語ることを避けてはいませんか。小さくても、教えるべきことは教え、伝えるべきことは伝えると、子どもはしっかりと、その教えを胸に刻んでくるものです。親が子どもを、夢や希望、志を持つように育てることで、その子は将来、必ず大きな花を咲かせることでしょう。    以 上

私が理想とする子孫に残すべき財産は、金銭や物質的なのではなく、親自身の生き方を見せていくことだと思います。その生き方とは中々難しく、時には照れくさい時もありますが、大人として、人としての行動をする時に損得を優先するのではなく、まず善悪を第一に考えて行動をすることと考えます。小さな事を疎かにせず、親自身が自己肯定感が持てるような行動をしてまいりましょう。子どもは親の後姿をよく見ているものです。よろしくお願いいたします。

↑To Top

2017年 9月

充実の2学期がスタートしました。遠足や運動会、音楽会等の大きな行事や活動を通して子ども達の成長が著しく見られる時期です。一人ひとりの思いや願いを十分に受け止めて、豊かで楽しい園生活が過ごせるよう援助をしていきます。ご理解・ご協力のほどを。

さて、今月は水谷修著「夜回り先生 いのちの授業」日本評論社から礼儀作法を身につける―節度を守って行動をするを紹介いたします。

君たちは礼儀作法という言葉を知っていますか。これは、自分と相手がいるところには必ず発生するもので、お互いにこころ豊かな時間を過ごすための節度を守った対応のことです。今、私たちのまわりから、気づかいともいえる、礼儀作法がどんどん失われています。
大阪の電車の中で見かけた高校生は、4人がけのボックス席に2人で座り足を前の席に投げ出していました。一人は熱心にメールを打ち、一人は携帯電話で話をしていました。すぐそばには、おばあちゃんが重い荷物を持ってつらそうに立っています。
私はすぐに彼らのところに行き、メールや電話をやめて足を座席から下ろすように頼みました。彼らは迷惑そうな顔をして渋々ながらも従ってくれましたので、空いた席にはおばあちゃんが座って荷物も置けました。2人は次の駅で降りましたが、私に「くそじじい」とひと言投げかけることを忘れませんでした。礼儀を知らない彼らの、哀しい例です。

一方で、礼儀や気配りに感動した例もあります。
講演で四国の松山に向かう時のことでした。羽田空港で松山に帰る修学旅行の高校生たちと出会いました。空港内は混雑していたのですが、飛行機の搭乗口近くで何人かの生徒が席に座ろうとすると、ある一人の生徒が「みんな、席に座れない人がいるから、僕たちは床に座ろう」と声をかけ、通行する人の邪魔にならにようにみんなが壁際に2列になって静かに座りました。そこでも、だれも携帯電話やゲーム機を手にすることはなく、旅先で手に入れたパンフレットを何人かで見ながら、楽しそうに話をしていました。
私もまわりの多くの大人たちも、感動しながら彼らを優しく見つめていました。
松山空港に到着して飛行機を降りる時も、一人ひとりが搭乗係員の人たちに深くお辞儀をしながら、「ありがとうございました」とお礼の言葉を口にしていました。すばらしい生徒たちでした。私は空港を出る時に、彼らに向かって深くお辞儀をし、「ありがとう」とお礼をいいました。

礼儀作法というものは、私たち人間が先祖代々、他の人に迷惑をかけないように、嫌な想いをさせないようにと歴史の中でつくり上げてきたものです。
日々を礼儀正しく、きちんと生きることの中で、こころを大切にしてください。   以 上

挨拶がきちんとできる。お礼を正しく言える。遊具や道具を丁寧に扱える。仲間を大切にし時には助けようとする行動ができる…etc。誰もが元々持っている資質です。面倒がらずに照れずに正しいと思う行動をするように心がけていると気持ちが良くなり、何事にも前向きに考えられるようになると思います。
つくしの幼稚園の保護者の皆様は皆さん前向きな方々ですもんね。

↑To Top

2017年 8月

明日から長い夏休みになりますね。事故などに遭わぬよう、そして夏休みならではの体験ができることをお祈りしております。

今月は、清水克彦著「女の子が幸せに育つパパの習慣」PHPより43『約束はきちんと守る』を紹介いたします。
職場で信用される人は約束をきちんと守る人です。いくらスキルが高くても、約束を守れない人は信用されません。
それも、納期までに商品を収めるとか、アポイントの時間を守るといったビジネスに直結することだけでなく、「では、明日、どこで宴会をするか、メールしておきますよ」などといった小さな約束をしっかり果たすことが大切です。なぜなら、その姿勢が、その人の礼儀や節度、気高さや人徳のバロメーターになるからです。

子どもとの接し方も同じです。「あの人は信用できる人だ。あの人に任せておけば大丈夫」第三者から、このように思われる人間に育てるには、パパが子どもの前で、たとえ小さな約束でも守ること、そして、約束を守れなかったときは、けっしてごまかさないことが重要になります。私は日頃、記者やニュースデスクとして、数多くの政治家や官僚と接していますが、彼(彼女)らのなかに、どこか信用できず、品格を感じない人が存在するのは、選挙公約を平気で破ったり、政策の効果が上がらなくても、難解な言葉を駆使してごまかそうとするからです。 子どもはパパとの約束を驚くほど覚えています。特に女の子は、「よく、そんなことまで・・・」と思ってしまうほど記憶しているものです。

「今度の土曜日、デパートに洋服を買いに行こう」「一学期、成績が少しでもアップしていたら、夏は家族旅行で好きなところに連れて行ってあげる」このような約束をした場合、土曜日にはデパートに行き、努力して成績を上げたのなら、夏休みは女の子が希望する場所に出かけてください。

私もときおりやってしまうのですが、パパのなかには、ビジネスでの約束は覚えていても、妻子との約束はすっかり忘れてしまうという人がいます。
先に挙げた例で言えば、デパートに行くはずだった土曜日に同僚とゴルフの予定を入れてしまったとか、「〇〇ちゃんのすきなところに」などと言いながら、結局は自分が急に行きたいと思った場所にしてしまうと、女の子からの信用はがた落ちになってしまいます。日頃パパが、「約束をしっかり守ることができる人間になろうね」などと語っていたとしても、「パパがいう約束って、この程度のものか・・・」と感じてしまい、説得力を失います。
「約束というのはとても大切なもの」ということを、女の子の心に焼きつけるためには、まず、パパが、家族との約束をきちんと守る姿勢を見せましょう。
〇できない約束、実現が難しそうな約束はしない
〇約束をしたら、それをカレンダーやスマートフォンのスケジュール欄に書き込んでおく

最低限、この二つに留意していただけたらと思います。それでも、万が一、忘れたり、どうしても変更しなければならなくなったりするケースが生じたら、ごまかそうとせず、きちんと謝る、理由をしっかり説明する、そして、代替案を提示することが重要です。    以 上

「誠意」「誠実」の『誠』は言うを成すと書きます。つまり言っていることとやっていることが同じだという意味です。これを「言行一致」とも言います。中々難しいことですが、「あの人は誠実な人だ」とか「誠意のある人だ」と人から信用されるには、言行一致しかありません。お互いに目指したいものですね。

↑To Top

2017年 7月

早いですね。今月で1学期終了です。登園日数も12〜13日となりました。ここまであっという間でしたね。日々を大切にして過ごしてまいりましょう。

さて、今月は先日ご講演をいただいた原坂一郎先生の「男の子のしつけに悩んだら読む本」すばる舎から 『叱らなくても、しつけはできます★穏やかに、繰り返し言うだけでいい』を紹介いたします。

世の中には、「しつけ=厳しく言うこと」だと思っている人が、ずいぶんたくさんいます。子どもを強く叱っている母親は、「あのお母さん、ちゃんとしつけているわ」「親も大変ね」などと好意的に見られることが多いようです。
そのため、人前では必要以上に子どもをきつく叱ってしまう、というお母さんも多いでしょう。
けれども、厳しく叱らなければしつけができない、ということは決してありません。それどころか、穏やかに言われ続けた子どもの方が、結果的にちゃんとしつけられていることが多いのです。 私がバス通勤をしていたある日のこと。バスに乗り込んだ3歳ぐらいの男の子が、通路をウロウロと走り回っていました。
そのお母さんは、「何してんの!そんなとこいたら邪魔でしょ!」と大きな声で叱り、強引に子どもの手を引いて座席に座らせました。
その次の日、今度は4歳くらいの男の子が乗り込み、やはり通路をいつまでもウロウロ歩くという、偶然まったく昨日と同じようなシチュエーションになりました。
でも、そのお母さんは、「みんなの邪魔になるよ。こっちへおいで」と、穏やかな口調で息子を呼び、自分の隣に座らせました。
前者のお母さんは一見、いかにも「ちゃんとしつけている」ように見えるかもしれません。
でも、あの男の子は、とりあえず怒鳴られたからウロウロしなくなり、手を引っ張られたから座っただけで、いずれも納得して自分の意思でしたわけではありません。きっと次の日も同じことをします。
もしくは、そんなふうに怒る人がいない場合、たとえば親戚のおばさんと乗ったときなどには、また同じことをします。
一方、ウロウロしていたら「みんなの邪魔になる」ことを教えられ、こっちへ、と呼ばれて自分でちゃんと席に座ったあの男の子は、次からは、ウロウロせずに席に座る確率は、前者の男の子の何倍も高くなります。その場に怒る人がいなくてもです。    以 上

親の恐怖や脅しで言うことを聞く時期は幼いうちだけです。人は体が大きくなると同時に心も発達をしていくものです。いつまでも幼稚ではありません。少しずつ正しい「損得」や「善悪」の判断が出来るようになります。そうなると恐怖や脅しに対する身の処し方も身に付けるものです。
幼児期に正しく躾られた人はそれが財産となり、その後の人生を豊かに過ごすことができる割合が高くなります。(世界的に学術論文が多数発表されています)
「三つ子の魂百までも」と言われる所以ですね。そして一番手っ取り早い躾の方法は親自身が行動で示すことだと思います。
「子どもや親の言うことはしないが親のやることをやる」ですから。

↑To Top

2017年 6月

しばらくするとうっとうしい入梅になることでしょう。じめじめしているだけでなんとなく憂鬱になってしまいますね。そんな中でも子ども達の園生活はだいぶ活発になり、友達の名前もかなり出てくるようになってくることでしょう。反面、室内で遊ぶことが多くなる時期でもありますので、友達同士のトラブルもつきものです。一人ひとりに丁寧に対応をし、思いや願いをしっかりと受け入れていきたいと思います。ご理解ご協力のほどを。

さて今月は、佐々木正美著、相田みつを書「自分の番を生きるということ」小学館から『子供へ一首』を紹介致します。

子供へ一首
どのような
道を
どのように歩くとも
いのちいっぱい
に生きれば
いいぞ


孫に対して厳しい祖父母が増えています。孫のあるがままを認めて受け入れることができずに、孫に対して注意や指示をする祖父母が多いのです。昔は、祖父母というものは、父親や母親と違って、孫を猫かわいがりしたり、目に入れても痛くないほどかわいがっていたものです。
仕事や家事に追われている親たちに比べて、時間にも心にも余裕がある祖父母だからこそできる接し方があります。お孫さんの将来も大切ですが、お孫さんとのいまを大切にして、その存在をすべて受け入れる気持ちで接していただきたいと思います。孫と過ごして遊べる時間は、わが子を育てた時間よりずっと短く、とても貴重な時間です。私たち夫婦は、私の両親と長男が生まれる直前に同居を始めました。母は自分の子どもをかわいがったように、私たちの子どもをかわいがってくれましたが、じつは父のほうが母よりもっと孫を溺愛しました。孫の希望を拒否したり、否定したりしたことは、私たちが知る限り一度もありませんでした。「何を頼んでも必ず言う事を聞いてくれた」と、3人の息子たちは口をそろえて言っています。父は天気が良ければ、孫たちにせがまれるままに近くの公園に出かけて、ブランコに乗せたり、滑り台を楽しませたりしていました。それが毎日のことでもいっこうに気に入らない様子でした。電車好きの長男には踏み切りのそばに行って、長男が「もういい」と言うまで電車を見せることよりもよくありました。孫がうれしそうにしている姿を見ていることが、父の喜びだったのです。やがて、父も母も、孫たちの成長にともなって老いてきました。孫の要望に応えるようなことは何もできなくなり、それどころか徐々に日常生活が孫の手を借りなければ維持できなくなっていきました。最後は老人クラブに通うのも、孫に支えられてでないとできなくなりました。そして、ついには、小学校高学年から中学生になった孫たちに、あれこれ頼みながらの生活となってしまいました。そんな毎日を送る中で、私たち夫婦を驚かせたのは、息子たちがそうした祖父母の頼みをすぐに実行に移すことでした。親の頼みや願いを拒否することはあっても、祖父母の要求や依頼に対しては、決して「あとで」とか、「いや」とは言わないうえに、わずらわしいというような素振りもまったくしなかったのです。私たち夫婦は冗談混じりに、「子どもたちにはおじいちゃん、おばあちゃんから言ってもらったり、頼んでもらったりするのがいいね」と話していたものです。

人は、相手の言うことを拒否しないで受け入れ続ければ、相手もこちらの言うことを拒否したり否定したりすることはありません。まるごとの自分を受け入れてくれる、その経験があって、初めて人を信じることができる。こういう人間関係の原則的なことを、私は両親から教えられた気がします。
父も母も、その晩年は「孫に恵まれました、孫に恵まれました」と言いながら、天寿を全うしていきました。そのことは、私の子どもたちが、母方の祖父母のことも含めて同じように、4人の祖父母に恵まれたという思い出であることと同義であるとおもいます。    以 上

「育てたように子は育つ」と言われています。だから人は自分がしてもらったことを人にするものなんですね。

↑To Top

2017年 5月

ゴールデンウィークが明けてこれからいよいよ1学期の充実期になってまいります。天気の良い日には園外保育に出かけることが多くなることでしょう。後半には気温が高くなることもあり真夏を思わせるような事もあるでしょう。この時期はとても疲れやすくなるので帰宅後はゆっくりとした休養をとることが大切です。ご理解ご協力のほどを。

さて、今月は元吉圓子(マトコ)著「あふれるまで愛をそそぐ6歳までの子育て」株式会社カンゼンより『小学5年生でも甘えたい』
生まれてから4歳ぐらいまでは、ご両親にかわいがられ、抱っこや添い寝をしてもらって、たっぷりあまえることが必要です。そうして甘えが足りると、心に優しさが育ち、自然に友だちを求めるようになり、友だちとの遊びの中で自分の思うようにならない体験をして、社会性が育っていくのです。
最近、町の中や電車の中で、親に甘えている子どもを見かけることが少なくなりました。子どもはどの子も、小さい頃はお母さんに甘えたいのです。子どもの甘えを受け入れるお母さんが少なくなったように思います。以前、新聞にこんな投稿が載っていました。その一部を紹介しましょう。・・・ある日の夕方、保育園児だった末の娘が、こたつに入っていた私のひざの中にいつものように自然に割り込んできた。
その時、小学3年の上の娘が妹を指さし、「あっ、赤ちゃん!」とからっかた。その娘の顔を見たとき(あっ、この子は自分も抱かれたいんだ)と直感したので、私はその娘に、「次はあんたの番だよ」と言うと、さっきまで妹をからかっていたのはどこへやら。うれしそうな顔をして私のひざに割り込んできた。
その後、試しに長男もさそったところ、さすがに5年生だけあって、「ぼくはいいよ」と恥ずかしそうに言ったが、「自分のお母さんなんだから、遠慮しなくてもいいんだよ」と言うと、少し照れながらもひざの中に入ってきた。 私は平静を装っていたが驚いた。お兄ちゃん、お姉ちゃんという名のもとに、いくつも違わない妹が母親に甘えるのを、いつも、うらやましく見ていたに違いない。小学5年生でもお母さんには甘えたいのです。6歳以下の幼児であれば、言うまでもありません。子どもが甘えるのは、わがままでもなんでもありません。必要だからです。食べたり飲んだりするのと同じように、甘えることは子どもの成長に必要なことなのです。この甘えが足りないと、20歳になっても、50歳、60歳になっても、いつまでも満たされない思いを引きずってしまいます。

『甘えが足りるとスパッと自立する』
人間の子どもは、小さいときに甘えを十分に受け入れて、かわいがってていねいに育てると、あとはなにもしなくても、いい大人に成長します。
以前、写真家の大石芳野さんが、新聞につぎのようなことを書いていらっしゃいました。
(パプアニューギニアの)母親は子どもにせがまれるとすぐ抱き上げる。上半身裸の生活をしているので、子どもは母親の胸にしがみつき放題で、いつまでも赤ちゃんのようだ。しかし、6歳ぐらいになると、日本の同年代とは比較にならないほどしっかりしてくる。十分に甘えたあとは、木の実がぽろりと落ちるように、大人の仲間入りをする。そのため、母親は親離れをするまで精いっぱい甘えさせているのかもしれない・・・。
これは、とても印象的なお話でしたので、私は切り抜いて取っておいたのですが、お母さんに十分に甘えることができた子どもは、ときがくるとスパッと親離れをして、次の自立という段階へ入っていけるのですね。そしてまた、十分に甘えさせた親の方も未練を残さず子離れができるのです。甘えとはスキンシップと理解してくださるといいと思います。これは人間だけでなく動物も同じです。
    以 上

乳幼児期はとても手がかかりお母さんにとっては大変な日々なのかもしれません。
でも、人生の中ではほんの少しの時間です。今しかありませんよ。「おかあさん!」って胸に飛び込んで来てくれるのは!

↑To Top

2017年 4月

暖かい春の訪れとともに平成29年度も無事に迎えることができました。
初めての友達、初めての先生、初めての・・・何もかもが初めてなものばかりで期待と不安が入り混じってウキウキ、ドキドキしていることでしょう。園長を始め、教職員全員で精一杯にお世話させていただくことを心から喜んでいます。しばらくはにぎやかな毎日になりますが本当に楽しみです。

さて今年度の「つくつくランド」も毎月の予定や子ども達の様子、いろいろな情報等を中心に楽しい内容になるようにしていきたいと思います。どうぞ、お楽しみに!
「教育とは思い出をつくる事なり」という言葉を聞いたことがありますか?
人の成長過程には、色々な環境や様々な時期に人や物との出会いがあり、その都度影響を受けていきます。その影響が強ければ強いほど、心に深く思い出として残り、自分の生き方や在り方の方向を示してくれます。
思い出には嬉しいことや楽しいことばかりでなく、時には悲しみや怒りに満ちたこともあります。これから始まるつくしの幼稚園の生活は、親も子も職員もみんなが感動的で、思い出深いものになるようにと願っています。


4月は新入児も進級児も、共にどんなに楽しく園で過ごしても、しばらくの間は疲れて帰ることと思います。ご家庭では十分な休息と甘えが必要です。お子さんをうんと受け入れてスキンシップをたくさんしてやってくださいね。
集団生活で「いい子」で過ごすことができるようになるには、ご家庭の受容が何より大切です。

こんな言葉があります。「親は子どもがいいことをした時だけ『おまえはいい子だね』と誉めるが、子どもはいつも親に『おまえはいい子だよ』と言われているといい子になるものである」園でも家庭でも言い続けていきましょう。お互いの向上のためにも大切なことですね。ご理解・ご協力のほどを。

↑To Top

2017年 3月

今月は卒園式と修了式ですね。いよいよおわかれです。クラスのわかれ、友達とのわかれ、先生とのわかれ、卒園でのわかれ。たくさんのわかれがあります。 しかし、このわかれは次へのスタートとなります。わかれの次には必ず出会いがあるものです。 感傷的に考えずに、未来に向けて希望を持ってスタートをしましょう。

今月は過去にある若手園長(後継者)の研修会で私が講師として受講者に対して話した一部を抜粋してみます。
「志をはたして いつの日にか 帰らん」
これは「ふるさと」の一節です。
普段聴いても素晴らしい歌ですが、子ども達の声で聴くと、より一層「ぐっ」ときます。
幕末から明治維新の礎となった長州藩の吉田松陰は「志をもって、万物の源となす」と、志を立てることの大切さを、松下村塾の塾生達に教えたことは有名な話です。
さて一般に、「夢」と「志」は混同して用いられるケースもあるようですが、夢が英語でDreamであるのに対して、志はVisionと訳されます。
また夢は個人的な願望、たとえば「大きな家に住みたい」とか「海外旅行に行きたい」など自分一人の叶えたい願いや、望みを指すのに対して、志は公に尽くすこと、利することとされます。「困っている人達を助けたい」、「皆が幸せに暮らせる社会をつくりたい」等は、志と呼ぶに相応しい内容です。
かつての日本では、個人の願望だけを追求し続けるような人を「いやしい」と評していました。
ご存知のように、日本は「ムラ社会」を基盤として発展してきました。狭く限られた地域の中では、そこに暮らす者は誰もが協力し合わねば、生きていけませんでした。そして「自分さえ良ければ」と考える者は、必然的に排除されてしまうのです。
ですから日本人は、「誰かの利益のために一所懸命」な人を応援したくなり、「自分の利益のために一所懸命」な人を嫌悪するDNAが残っているのです。
それなのに近年では、たとえばネット取引で巨万の富を得た人を、まるでヒーローのようにもてはやす風潮があるのは、実に残念なことだと思います。 私達の志は、親と子と職員の幸福のために、自らは「粉骨砕身」で努力することだと思います。 まさに「利他の心」で事業にあたろうではありませんか。・・・    以 上

内容を短くまとめましたが、私はどこでも誰にでもお伝えをするのは「子どもの成長には親の成長、先生の成長は絶対に欠かせません。高い志を持って子どもと共に成長し合える親であり、先生であり続けたい」と言っています。特に幼児教育を担う私たちは「進みゆく者のみ教える権利あり」を忘れずに日々精進しなければならないと思います。
残りの園生活を日々「本気」と「全力」で過ごすようにしてまいります。ご理解ご協力のほどを。

↑To Top

2017年 2月

4日は立春となり暦の上では春になります。しかし、まだまだ寒い日が続きインフルエンザが流行するかもしれません。外出後はうがい・手洗いをしっかりしましょう。また体調の悪いときは無理をせず幼稚園を休むようにしましょう。ご理解ご協力をお願いいたします。
さて、今月はノートルダム清心学園理事長渡辺和子著「幸せはあなたの心が決める」PHP研究所より『意地悪く批判しない』と『真の愛にはきびしさがある』をご紹介いたします。

○『意地悪く批判しない』
他人を批判することは、さほどむずかしくありませんが、自分に対してなされる批判を素直に受け取るということは、必ずしもやさしいことではありません。それは、批判されるということが、ある意味で「裁かれる」ことであり、往々にして自分が否定される可能性さえ持っているかも知れないからです。批判する能力は、人間に与えられた特権ですから、これを用いることは特にたいせつなことですが、やはり相手への思いやり、優しさがあってほしいと思います。「あの人は、正直者だけれども仕事が遅い」と言うのと、「あの人は、仕事は遅いけれども正直者だ」と言うのとでは、同じ人物への批評でも、どこか違っています。そして、その違いは、批評する側のポイントの置き方から生まれているのです。つまり、相手の悪いところを強調しようとしているのか、相手の良いところを強調しているのかの違いなのです。私たちの誰一人として、この世に自分から望んで生まれてきた人はいません。ということは、つまり皆、生きることに自信を持っていないのです。だからこそ、つらいこと、苦しいことの多い人生を生きてゆくためには、「あなたは生きていていいのだ」という、他人からの励ましと優しさが要るのです。その優しさが、今日も他人から与えられず、かえって冷たい批判しか与えられなかったような時、私はこう言って自分を慰めてやるのです。「イエスさまでさえ、ひどい批判をいっぱいお受けになったのだから、私がこのように扱われるのは当たり前」と。そして、「自分は、どんなことがあっても、他人をわざと意地悪く批判するまい」と心に決めると、不思議に心が軽くなるのです。他人を批判する時でも、思いやりと優しさが必要。
お互いにつらいことの多い人生を生きているのだから、相手の悪い点を強調するような言い方はしない。

○『真の愛にはきびしさがある』
私はかつて、提出日を守らなかった一人の学生のレポートを受け取らなかったことがあります。その学生は、ひとしきり言い訳を言った後で、「シスターはクリスチャンのくせに、一頭の迷える羊を救おうとはなさらないのですか」と言うのですか。一瞬たじろいだ私は、「いいえ、迷える羊を見捨てはしませんよ。やがて社会に出てゆくあなたに、甘えが通用しないきびしさがあることを、今のうちに知ってほしいからこその処置なのです」と答えたものでした。その学生はその後卒業し、結婚したといっては手紙をくれ、子どもが生まれたといっては知らせてくれています。はたしてあの時に、「ああ、いいですよ」と言ってレポートを安易に受け取っていたとしたら、今日の、この人と私との温かい心の通い合いができていただろうか、と思うことがあります。寛容というのは、「寛大で、よく人を許し、受け入れ、咎めだてをしないこと」と定義されていますが、それは決して「大目に見てやる」といった「甘やかし」と同じではないかと思うのです。相手を許し、受け入れるにあたっては、真の思いやり、愛が、一見きびしく思えることさえあるのです。私が、真の「寛容」というものを、一人のアメリカ人のもとで仕事をしていた二十代の七年の間に、しっかり身をもって教えてもらいました。こと、仕事に関しては「寛容」のかけらもないきびしさであり、「ただの一セントの計算違いであったとしても、正確でないという点では、一万ドルの計算違いと変わりない」という論理を持ったその人のもとでは、僅かの間違いも許されませんでした。でも、温かかったのです。その人は人間そのものに対して、いつもその弱さを包み込み、許す愛と広い心の持ち主でした。「迷える羊」に対する愛とはどういうものかを教えてくれた人でした。
相手を思えばこそかけられる、きびしい言葉がある。
寛容とは「大目に見てやる」ことや「甘やかす」こととは違う。    以 上

「厳しさ」というと連想するのは「恐怖」いうものがあるように思います。しかし、子どもを脅しつけてしつけたり、罰ばかりを与えていう事を聞かせても本当の事は伝わらないものです。私たちはそのことを身を持って理解しているはずです。『子どもを良い大人へ』育てるのは大人たちの責任です。
だからこそ「子どもは親の言うことはやらないが、親のやることをやる」を忘れずに実行しようではありませんか!

↑To Top

2017年 1月

新年明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。
2017年がスタートしました。新しい気持ちになって、子ども達が夢と希望を持って園生活が過ごせるようにしていきたいと思います。変わらぬご理解ご協力をお願いいたします。
3学期の保育日数は47日間です。最も短い日数の期間です。卒園・進級に向けて一日一日を大切にし、一人ひとりの思いや願いに心を込めて丁寧に対応をしていくように努力してまいります。よろしくお願いいたします。

さて、今月は西沢泰生著「夜、眠る前に読むと心が『ほっ』とする50の物語」三笠書房より

第41夜 「野球、観られなくてごめんね」
これからお話しするのは、インターネット上で「泣ける話」として紹介されているお話です。
子どもがまだ幼い頃に、父親が亡くなった母子家庭。母親は小さな個人商店で働いて、女手一つで息子を育てていました。当然のごとく家は貧乏で、息子は小学生の遊びざかりでしたが、遊園地や動物園などに連れていくこともできず、母親は内心そのことをすまなく思っていたのです。
そんなある日のこと。母親は勤め先で、プロ野球の観戦チケットを2枚もらいます。プロ野球選手が「子どもたちの憧れの職業」で断トツのナンバーワンだった時代です。母親にチケットを見せられた息子は大喜びします。
当日。2人は精一杯のおしゃれをして、いつもより少し豪華なお弁当を持って球場へ行きました。しかし、チケットを見せて中に入ろうとすると、係員に呼び止められてしまいます。係員は、すまなさそうな顔をしながら2人にこう言ったのです。「これは入場券ではなく優待券です。入場するには1人1000円のチケットを買って下さい。そうです・・・。野球観戦をしたことがなかった母親は、入場チケットが割引になる優待券を入場券だと勘違いしていたのです。いくら割引してもらっても、入場券を買うお金なんて持っていません。しかたなく、2人は外のベンチでお弁当を食べて球場をあとにしました。帰りの電車の中。無言の母親に「今日は楽しかったよ」と気をつかう息子。母親はそんな息子の気づかいがよけいにつらく、「ごめんね。お母ちゃんがバカでごめんね。野球、観られなくてごめんね」と謝り、涙をこぼしたのです。

やがて月日は経ち、息子は社会人になり結婚。子どもも生まれました。そんな頃、母親は病に倒れます。亡くなる直前、一度だけ意識が戻った母親は、思い出したように息子にこう言ったのです。「野球ごめんね」
息子は「楽しかったよ」と言おうとしました。でも、涙で声は出ませんでした。
心に響く話です。親子のささやかな夢を奪ったのが、ちょっとした勘違いだというのが哀しい。実はこの話、インターネット上では実話として紹介されていますが、同じシチュエーションの話が弘兼憲史さんの短編漫画にあり、そこから発想された作り話ではないかとも言われています。
でも・・・、これが実話でも、作り話でも、この話に描かれている「親子愛」が、お互いがお互いを気づかう「愛の本質」を描いているから、心が揺さぶられるのでしょう。
もしこのお話が作り話で、私が作者なら、きっと、見知らぬ紳士が気まぐれに親子をBOX席に誘ってくれて、2人が夢のような一夜を過ごす・・・という幸せな話にしたいと思います。    以 上

「感動」とは感じて動くと書きます。人間が起こす行動には必ず何かしらの意味があり、その根底には「感動」や「感激」があるものです。そして良い行動を起こすには良い感動が大切なのだと思います。どんなに小さなことにも感動できるような豊かな心を持ちたいものですね。

↑To Top

2016年 12月

早いですね!もう師走となりました。あっという間の2学期となります。でも、やきいも会、ロマンスカー遠足、もちつき会、クリスマス会そして2学期終業式など。残り15日間の中で2学期最後の行事が目白押しです。体調管理は万全に!手洗い、うがいをしっかりしてお休みの無いようにしてまいりましょう。

さて、今月書籍からではなく、懇意にしているある園長先生のセミナーで伺った話にいたしました。
これは、北九州市にある寺のお坊さんから伺った、実際にあったお話です。
お坊さんですから、数え切れぬほどのお葬式に立ち会います。その中でも、絶対に忘れることが出来ないご葬儀がありました。
遺族席には10歳の長女、8歳の次女そして5歳の長男の三人だけが座っています。お坊さんは、何か優しい言葉のひとつでも掛けようとしましたが、思いつかなかったそうです。この三人には、こんな事情がありました。

ある時、住んでいた家が道路の拡張工事に引っかかり、立ち退くことになりました。その際の立ち退き料として、二千数百万円が支払われたそうです。
ところが、父親がそのお金を全部持ってどこかに消えてしまいます。家もお金も失った母子は、行く所も無いまま畑の中の農機具小屋に身を寄せます。
それから半年。いくら貧しくても、一緒に暮らしたいのが親子の情ですが、電気も水道も、ガスも無い所にこれ以上子どもを置いていく訳にはいかないと、母親は泣くなく子ども達を施設に預け、自分はその小屋に住み続けました。
しかしそれから間もなく、母親は持病を悪化させ、医者にかかるお金も無いまま、小屋の中で一人淋しく息を引き取ります。そして子ども三人の遺族によるお葬式が営まれることになったのです。

さて、亡き母親の初盆を迎えました。そのお寺では、その年に初盆を迎えた遺族が集まって共に法要を行うことになっていて、三人の子ども達も遠い施設からやって来ました。
法要の最後に抽せん会があり、5歳の男の子が1等賞を引き当てました。そしてその男の子は、お坊さんに賞品を見せながら、こう言ったそうです。
「これ、お母ちゃんがくれたんでしょ?」
(私はここで、涙が抑えられませんでした)
その後も三人は、ことあるごとに亡母の供養にお寺を訪れ、六年の歳月が流れます。長女は16歳になり、高校には進まず就職しました。理由を尋ねたお坊さんに、長女はこう答えました。

「いつまでも施設の世話にはなれません。もう働けますので。生意気に聞こえるかもしれませんが、大人の世界に入って思ったことがあります。不平不満や、文句を言える人は、幸せな人だなあ、ということです。まだ自分の後ろに余裕がある人達なんです。私には、そんな不平不満を言う暇はありません。今はただ一所懸命働かないと。だってお金が必要です。妹と弟がいますから」

この長女は「あの父親のせいで、私は高校にも行けなかった」等と文句を言ったり、親のいない不幸を嘆いたりしません。そんなことを言っている余裕など、どこにも無いからです。    以 上

私達はつい「仕事が大変」だとか、「子育てが大変」だとか、簡単に口にしてしいます。でも、16歳の長女にはきっと「余裕のある、幸せな人だ」と思われてしまうかもしれませんね。辛いことや苦しいことがあったりすると、すぐに投げ出したり諦めていると人の成長は止まってしまうのですね。一日一日を大切にいたしましょう。

↑To Top

2016年 11月

朝夕はだいぶ冷え込むようになり、道端に落ち葉が舞うようになってきました。
この時期は1年のうちで最も空気がきれいになり酸素が最も多く、日中でもひんやりとした空気が頬を気持ち良くなでてくれます。運動会や園外保育を数多く経験してきた子ども達の園生活に一層の充実感が感じられるようになってきました。今月末にはハーモニーホールの大ホールでジョイフルコンサートを実施します。どうぞお楽しみに!
日々練習を積み重ねながら幅広く豊かな経験をたくさんして一人一人の成長を確かなものにしていけるように指導していきます。ご理解、ご協力のほどを。

さて、今月は「頭のいい子が育つママの習慣」清水克彦著、PHP文庫から『9 子どもの機嫌を取らない、風下に立たない』を紹介いたします。
私の持論は、「子どもが生きていくために必要なさまざまな力は、基本的に親がつける」というものだ。しかしこれは、親がすべて段取りをして、子どもの前にレールを敷くという意味ではない。私はむしろ、子どもの自立心を育むためには、ママもパパも「子どもの機嫌を取らない」「子どもの風下に立たない」、もしくは「子どもを小さな王様にしない」といった毅然とした姿が不可欠ではないかと考えている。先に私は、「ア行」や「サ行」で始まる言葉、あるいは「かっこいい」や「かわいい」が子どもを素直にすると述べたが、がまんできる子、ここぞというときに踏ん張りが効く子に育てるためには、親が、ときとして毅然とした態度を見せることも大切なことだと思うのだ。たとえば次のようなケースだ。

◎勉強面
・努力不足で成績が落ちたのに、それを何かのせいにしようとした場合
・「勉強さえしていれば他のことでは文句は言わせない」というような態度を見せた場合
・難しい問題にぶつかるとすぐに投げ出す、自分が立てた目標を安易に放棄するケースが頻発した場合
◎生活面
・何度も注意しているのに、挨拶ができなかったり、公共の乗り物等でのマナーが悪かったりした場合
・「テレビは一日一時間まで」「ゲームは土曜日だけ」「朝は六時に起床する」などと約束したのを破った場合
・遊んだら遊び道具を散らかしっぱなし、お箸を落としたら落としっぱなし、などの場合
このような場合、ママは毅然とした態度で臨み、どうしてそれが良くないことなのかを教え諭すことが大事だ。
それでも改善されなければ、子どもがママ以上に煙たいと考えているパパの力を借り、甘やかさないよう厳しくしつけることが大切だ。
ただし、感情に任せて叱ったり、人格や存在を否定するような言い方はNGだ。「いつも途中で投げ出していると、大人になってお仕事をするようになったらどうなると思う?」「あなたが騒いでいたら、周りで静かにしている人はどう感じるかなあ?」このように、子どもの想像力を働かせるような聞き方で叱る、周囲の人たちの気持ちを思いやれるように叱る、そして、子どもの目を見ながら、各家庭の判断基準にもとづいて叱るようにしよう。その場合、過去を蒸し返したり、ネチネチくどくど叱ったりするのは厳禁。手短に叱り、後を引かないような配慮はしておきたい。中には、ゲームや携帯電話など、欲しいグッズを親が買ってくれないとすねるような場合もあるが、経済的に面倒を見ているのは親だ。「うちの方針として、そういうものは持たせません」「そういう高価なものは、自活できるようになってから、自分のお金で買いなさい」そんなときは、こんなふうに、子どもの機嫌を取ろうとせず、はっきりと家庭の方針を伝えよう。    以 上
子育てで大切なのは「有言実行」です。子どもに言うことを親が身をもって実践することが重要です。
叱ることも大切ですが、その前に見本を見せることです。何も難しいことではありません。本気で取り組めば必ずできるものですよ。頑張りましょう!

↑To Top

幼稚園アラカルト

幼稚園をビデオでご案内

幼稚園イメージビデオです

就職イメージビデオです