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つくつくランド(園だより抜粋)

在園児保護者の方々に毎月配布されている園だよりの中から抜粋で、園長川崎が独特の教育観を語っています。
大いに幼稚園教育論を語り、そして現在の保護者の方々を叱り、励ましています。
頑張れ!つくしの幼稚園の保護者のお父さん、そしてお母さん!!(By川崎)

◆ 各月ごとのつくつくランド抜粋へは下記 ↓ のそれぞれの月をクリックするとジャンプします。

                        

2018年 5月

風薫る5月です。戸外で過ごすには絶好の季節になってきました。園生活も1ヶ月が経ち、子ども達の生活にも少しずつ変化があらわれてきます。緊張感を持って手探り状態で過ごした4月からくらべると、5月は少しずつ落ち着きを見せ始め、お互いの顔と名前が一致するようになり、友達と遊ぶことに楽しさを発見するようになります。反面、今まで遠慮気味に過ごしていた友達にも本音が出始め、自己主張が強くなり、遊具の取り合いなどのけんかがはじまるようにもなります。幼児期の集団生活ではこういったことを繰り返しながら(私はこのことを歓迎すべきトラブルと呼んでいます)、お互いを確かめ合って成長していきます。
大切な時期です。しばらく静かに見守ってあげましょう。

さて、今月は、高濱正伸著「伸び続ける子が育つお母さんの習慣」青春出版社より“上手な叱り方3原則は「厳しく・短く・後をひかず」を紹介いたします。
叱り方のポイントについては、講演会でも繰り返しお話ししています。なぜかというと、何回言っても元に戻ってしまうからです。
上手な叱り方3原則は「@厳しく・A短く・B後をひかず」。
「厳しく叱る」とは何かと言われれば、この子のこの状態をほうっておいたら社会人としてメシが食えなくなる、社会人として成立しない、甘ったれた仲間もできない状態になる、それを「思い知らせる」ための行為なのです。だから心を鬼にして厳しくしないと意味がありません。子どもが泣くくらいの強さでちょうどいいのです。厳しく叱るからといって、キーキーわめくのはバツ。できるだけ低い声で、丁寧に、真顔で、がポイントです。いつもやさしいお母さんに低い声で真顔で叱られるのは、子どもにとっては怖いものです。「厳しく叱りすぎると子どもが傷つきませんか?」と聞かれることがありますが、心配いりません。この時期の子どもは3歩歩いたらケロッと忘れる、すばらしい時期なのですから。これが5年生くらいになって親の言葉を「聞き流す」関係ができてしまうと、お母さんはとても苦労します。低学年までにビシッと叱ることができる関係を築いてください。「短く」叱るのが苦手なのも女性の特徴です。女性の場合は一度カッとなると、そのことだけではすまない傾向があります。いったん感情が高ぶると、「だいたいあなたはピアノだってやめちゃうし!」と、ずいぶん前の過失を持ち出して叱ったり、あげくの果てには「お父さんだって帰りが遅いし、もう!」と不満のすべてをぶつけてしまったりします。関係のないイライラを浴びせられた子どもはたまったものではありません。いま、この時点での過ちについてのみ叱るようにしてください。

最後に「後を引かず」。短く叱ったつもりでも、まだ怒りが収まっていない、つまり背中が怒っているお母さんが多い。叱られて1時間くらいたって宿題もして、お茶碗も運んで、「そろそろいいかな〜」と「お母さん」と話しかけると、「何!うるさいわね!」。お母さんの方はまだ終わっていなかったりします。
怒りが収まらない空気は、せっかく反省し、気持ちを切り替えた子どもの思いをつぶしてしまいます。厳しく短く叱って涙をふいたら、お母さんのほうも気持ちを切り替えて、いつものように接してあげてください。    以 上

『何度も言ってるでしょ!』『いつまでやってるの!』『はやく!はやく!』とは日本のお母さん達の口癖だとも言われています。
でもこんな言葉もありますよ。教育は「根気と繰り返しだ」ってね。 諦めずに頑張りましょう。!

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2018年 4月

入園・進級おめでとうございます。
暖かい春の訪れとともに平成30年度を迎えることができました。
初めての友達、初めての先生、初めての・・・何もかもが初めてなものばかりで、期待と不安が入り混じってウキウキ、ドキドキしていることでしょう。
園長を始め、教職員全員で精一杯にお世話させていただくことを心から喜んでいます。
しばらくはにぎやかな毎日になりますが、本当に楽しみです。

さて、今年度の「つくつくランド」も毎月の予定や子ども達の様子、いろいろな情報等を中心に楽しい内容になるようにしていきたいと思います。どうぞ、お楽しみに!
「教育とは思い出をつくる事なり」という言葉を聞いたことがありますか?
人の成長過程には、色々な環境や様々な時期に人や物との出会いがあり、その都度影響を受けていきます。その影響が強ければ強いほど、心に深く思い出として残り自分の生き方や在り方の方向を示してくれるものです。
思い出には嬉しいことや楽しいことばかりでなく、時には悲しみや怒りに満ちたこともあります。これから始まるつくしの幼稚園の生活は、親も子も職員もそれぞれが感動的で、思い出深いものになるようにと願っています。

4月は新入児も進級児もどんなに楽しく園で過ごしても、しばらくの間は疲れて帰ることと思います。ご家庭では十分な休息と甘えが必要です。お子さんをうんと受け入れてスキンシップをたくさんしてやってくださいね。
集団生活で「いい子」で過ごすことができるようになるには、ご家庭の受容が何より大切です。

こんな言葉があります。「親は子どもがいいことをした時だけ『おまえはいい子だね』と誉めるが、子どもはいつも親に『おまえはいい子だよ』と言われているといい子になるものである」
園でも家庭でも言い続けていきましょう。お互いの向上のためにも大切なことですね。
ご理解・ご協力のほどを。

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2018年 3月

卒園式まで二週間余りとなりました。本当に時が過ぎるのは早いものですね。3月はわかれの月とも言います。クラスの別れ、友達との別れ、先生との別れなど・・・しかし、この時期のわかれは子ども達にとって一段と大きく飛躍する機会なのです。親は(大人)、感傷的に考えてしまいますが、子ども達にとっては未来に向けて好奇心があり、希望があり、夢があります。進級・進学に向けて一日一日を大切にしましょう。

さて、今月は七田眞著「父親の7つの行動お父さん、今こそあなたの出番です」海竜社から[第7の行動]子どもに『夢』を与えるの中から“ひとのために何かをするということを、子どもの時に教える”を紹介いたします。

新聞に、次のような意見が載っていました。
「学校でも、徳を積む教育は必要だと思う。しかし、徳育を受け入れる素地ができているかどうかは、家庭の問題である」
最近は、自己中心的な「自己チュー児」が増えていると言われます。人の話を聞かない、人のものと自分のものの区別がつかない、人のものを傷つけても知らんぷり、「学級崩壊」が起こってきた遠因も、自己中心的な子どもが多いからだと思われます。そもそも、学校や家庭は、道徳を教える場でありました。「人やものを大切にしましょう」「お友だちと仲良くしましょう」「お年寄りに座席を譲りましょう」など、自分を中心とせず、人を大切にし、人のために尽くす、人のために何かを行うことの大切さを、説いてきたはずです。ところが、「道徳の授業は、人に価値を押しつける」などと批判され、中江藤樹が『翁問答』で説いたように、「親に対する孝が人間として生きる道の根本」などという孝徳の考えを教えることですら、戦後なくなってきました。家庭でも、親が子どもに、言うべきことを言わない、させるべきこともさせない、厳しさを欠いた友だち親子″が増え、徳を育てる場が失われているようです。

現在では、子どもだけでなく、その親の世代にも、「自己チュー」が蔓延しているように思われてなりません。電車では、お年寄りに席を譲るどころか、親が「席をとっておいで」と子どもを走らせたり、シルバーシートに平気で子どもを座らせたりしています。公園で子どもを遊ばせていても、順番を守れない自分の子どもを諭すどころか、「これくらい強い子じゃなくちゃ」などと、笑っている親もいると聞きます。うまく自己主張することと、自己中心的にふるまうことの区別がついていないかのような行動も、見受けられます。もともと、子どもは「自分がすべて」という存在として生まれるので、自己中心的な考え方をするものです。ですから、社会的生活を営むためには、自己中心的な部分を抑え、人のことを考える、人に譲る、人のために何かをする、ということを教えていかなくてはなりません。親がまず、手本となる行動をすることはもちろん、あえて子どもに教え、躾けるべきことなのです。小さなころから教えていかないと、後になってからでは、いくら道徳の時間で「徳」を教えても、受け入れる素養がなくては身につかないものです。日常生活のささいなことの中でも、「譲る心」「人のことを考える心」を身につけさせることができます。例えば、家族にミカンを配るとき、いつも子どもにまっ先に取らせるのではなく、「これは、おじいちゃんにあげて」「これは、おばあちゃんにあげて」「はい、お兄ちゃんにあげて」と配らせて、「はい、これが〇〇ちゃん」というふうに、目上の人から順番に配ることで、自分は後回しでも大丈夫、まず目上の人から順番で、ということを学ぶことができるわけです。お友だちと遊ぶときも、いつも人からもらっていてばかり、貸してもらってばかりでは、それが当然と思ってしまいます。赤ちゃんの頃から、人に譲ること、他人のことを考える心を育ててあげてほしいと思います。

自分を「利」するためにするのは「徳」ではありません。「自分のためではなく、人の役に立つために」という思いが「徳」です。小さな頃から、「徳」をうんと育てておくべきです。集団の中に入ったとき、社会に出たとき、自己中心的で困るのは、周囲もさることながら、その子自身なのです。    以 上

今年度の○月に向けて最終号となりました。果たして親として人としての在り方の参考になったでしょうか?至らなく足りないところはご自身で補っていただけると幸いです。これからもよろしくお願いいたします。

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2018年 2月

4日は立春となり暦の上では春になりますね。
しかし実はこの時期(1月下旬から2月上旬)が一年で一番寒くなるそうです。まだ寒い日が続くことと思います。
外出後はうがい・手洗いをしっかりしましょう。また何でもよく食べ(特に朝食)、外遊びも積極的にし、室内の換気を適度にして暖めすぎないようにしましょう。そして睡眠を十分にとることも大切です。
しかし体調の悪い時は残り少ない登園日数であっても無理をせず幼稚園を休むようにしましょう。
ご理解ご協力をお願いいたします。

さて、今月は鍵山秀三郎著「一日一話」PHP研究所からいくつかご紹介いたします。

“習慣が人格を形成する”
自分の人生を急によくしようとしても、よくなるものではありません。一つひとつ、よい習慣を身につける以外に方法がないと思います。
よい習慣に裏打ちされたその人の行動が、全人格として表れます。
商売をしている人は、お店の雰囲気に表れます。物を作っている人は、物作りに表れます。
習慣が、人格を形成します。

“よい人間関係”
知識や技能さえ身につければ、一生安泰に暮らせると勘違いしている人がおります。
知識や技能だけに偏りますと、人間としての感性が薄れてきます。感性が薄れると、人間関係に支障をきたします。したがって、幸せな人生は送れません。
よい人間関係を作るための基本は、自分の手と足と体を使って、人とのご縁を深めることです。

“丁寧な生き方”
丁寧な生き方をする人を、消極的で弱い人だと勘違いしている人がおります。
大きな誤解です。
丁寧な生き方こそ、積極的で強い意志がなければでき得ないことです。
事実、丁寧にやろうとすればするほど、時間も手間も必要とします。
そのうえ、忍耐と工夫がなければできることではありません。
丁寧な生き方は強固な精神力を育みます。    以 上

日々の子育てに頑張っていることと思いますが、出来るだけを心を込めて丁寧に心を込めて向き合ってみましょう。そして素直に・謙虚に・感謝して過ごすようにしていたら心穏やかな生活になることと思います。

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2018年 1月

明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。
冬休みはいかがでしたか?クリスマス、大みそかにお正月と慌ただしくも楽しい時を過ごしたのではないでしょうか?
3学期がスタートしました。卒園式・修了式までの保育日数は45〜6日です。1学期2学期と比較してはるかに短いのが3学期です。子ども達はこの短い期間に1年間のまとめと次への始まりの準備をする時期でもあります。毎日がとても貴重な日々です。親も子も先生も一日一日を大切に過ごしてまいりましょう。

さて、今月は中学生高校生の子どもを持つ親であればその名を聞いたことがある方が多いと思いますが、水谷修氏(略歴を紹介します。大学卒業後、1983年に横浜市立高校教諭、1998年から横浜市立戸塚高校定時制社会科教諭を経て、2004年9月に高校教諭を辞職。中・高校生の非行防止と更生、薬物汚染の拡大防止のために、全国各地の繁華街で「夜回り」と呼ばれるパトロールを行っています。私の知るところでは町田の109辺りで見かけたことがあります。また、薬物防止等の講演で全国を駆け回っていられるそうです。)の「あした笑顔になあれ夜回り先生の子育て論」日本評論社の中から『悲劇のヒロイン(自分病)』を紹介します。

残念ながら私は、2004年からの2年間の闘いで、すでに9名の子ども達を失っていました。
この2年間相談を受け続けてきて、気づいたことがあります。じつは私のところに届いた膨大な量の相談メールや相談電話のうち、その9割以上がこころを病んだ、夜眠れない子ども達、死に向かおうとしている子ども達からのものでした。
でも、そのほぼ7割は、私は「自分病」と呼ぶのですが、人が、教員が、親が、自分を認めてくれないと苦しんでいます。その中で自分を守るために、「私は悲劇のヒロインなんだ」「私は特別な人間なんだ」「私はほかの人とは違う」と、自分の殻の中に閉じこもっている子ども達でした。自分は世の中でもっともかわいそうな人間なんだと自傷(リストカットなど)したり、私を見てとばかりにゴシクロリータと呼ばれる特異な服装をしてみたり、あるいは、顔にたくさんのピアスをしたり、目を真っ黒に縁取りした特異な化粧をするという子ども達でした。
そんな彼ら彼女らは、じつは非常に簡単に違う方向に向けることができます。彼らは身体を動かすことができますから、私は「まわりに優しさを配ってごらん。人のために」と言います。
例えば、「先生、そんなことやったって、どうせ私なんか」という子に、「お父さんの靴を磨いてごらん、きっとわかるよ。お母さんの洗濯物をたたんでごらん」と言います。夜になると死にたいと言ってくる自分病の子ども達は、「そんなことしたって変わらない」と答えますが、「でも、やってごらん」と私は言います。翌朝怒りの電話がきます。「靴を磨いたけど、お父さん何も言わなかった。洗濯物もたたんだけど、お母さん何も言わない」「そうか、また明日もやろうね」「いやだ」と言って電話を切るのです。そして、その日にまた電話がかかってきます。「先生、お父さんがケーキかって来てくれた、気づいていたよ。お母さんも気づいてくれて、『ありがとう』って言ってくれた。私って生きていていいんだよね。人のために何かして『ありがとう』って言われるのって、すごく幸せなんだ」
これで、子ども達の心はほどけていきます。    以 上

大人は子どもが良いことをすると「おまえは良い子だね」と褒めるようですが、「おまえは良い子だよ」「お前は可愛い子だね」といつも認め言い続けていると、必ず、良い子に可愛い子に育つものです。
常に褒め合えるお互いでいたいですね。

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2017年 12月

一年の終わり師走となりました。ジョイフルコンサート、焼いも会、ロマンスカー遠足、もちつき会、クリスマス会そして2学期終業式。など残り14日間の中で2学期最後の行事が目白押しです。体調管理は万全に!手洗い、うがいをしっかりしてお休みの無いようにしましょう。

さて、今月は4年ほど前に紹介したドロシー・ロー・ノルトの子ども、孫、ひ孫たち 訳坂崎ニーナ眞由美「ドロシーおばあさんの教えほめればほめるほど、子どもは伸びる」PHPより『分かち合うことで、幸せなきもちになります』を紹介いたします。
私が十歳の時、家族でアメリカ縦断の旅をしたことがあります。
私と二歳上の兄はお小遣いを節約し、さらに家の手伝いをしてお駄賃をもらい、旅行中に使うお金を貯めました。
旅先で、私は一セント硬貨が入った小さな瓶を買いました。針の穴ほどしかない瓶の口からどうやって硬貨を入れたのか、私には不思議でたまりませんでした。
旅から帰った時、私の手元にはまだお金が残っていました。翌週に父の誕生日が控えていたため、本当はプレゼントを買わなければならなかったのですが、その頃私には、欲しくてたまらない人形がありました。残ったお金を全部使えば、人形を買うことができます。どうするべきか、私はさんざん悩みました。
答えが出ないまま、翌日、私は母や兄と、父へのプレゼントを買いに出かけました。母と兄はそれぞれ、父が好みそうなものを選んでいましたが、私は、父にはカードだけを買い、残りのお金で、欲しかった人形を買ってしまいました。私の中の「自分のことしか考えない」気持ちが勝利を収めたのです。人形を胸に抱え、私はとても興奮していました。
しかし父の誕生日がやってくると、興奮は後悔に変わりました。きれいにラッピングされた母や兄からのプレゼントを眺めながら、私は罪悪感と居心地の悪さを覚え、ちゃんとしたプレゼントを用意しなかった自分を責めました。
私は父に「パパ、愛してるわ」と書いたカードと、旅先で買った小瓶をあげたのですが、父は母や兄と同様、私にも「ありがとう」と言ってくれました。
さらに夕食の後、私が部屋で人形遊びをしていると、父がやってきて私の横に座り、プレゼントにもう一度感謝してくれました。私は、父よりも自分自身を優先させたことを哀しみ、恥じ入りました。
四十九年経った今も、あの日のことは鮮明に覚えています。

そしてあれ以来、私は百八十度変わりました。家族や友人たちに対して気前よく、何も期待せず、見返りを求めずに「与える人」になろうと決めたのです。

今、私は、自分のことを考えている時よりも、子どもたちのバースデー・パーティーの計画を立てたり、友人が喜びそうなプレゼントを選んだりしている時の方が、はるかに嬉しく、楽しく、興奮します。彼らを幸せな気持ちにしたいと心から願っているし、もし彼らが喜び、感謝してくれれば、それが私にとっては、最高のご褒美なのです。    以 上

幸せには3つあると言います。@「してもらう幸せ」からA「できる幸せ」そしてB「してあげる幸せ」です。
このB「してあげる幸せ」は自分のできることで人に貢献することであり、見返りを期待しない深い愛があってこそできることと思います。誰かにしてもらうことばかりを期待していると、不平や不満が大きくなってきてしまいます。出来れば最上位の「人の役に立つことが本物の幸せである」と言えるような行動をしたいものですね。

頑張りましょうね!

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2017年 11月

朝夕はだいぶ冷え込みむようなり、道路では落ち葉が舞うようになってきました。
今の時期は1年のうちで最も酸素が多く、日中でもひんやりとした空気が頬を気持ち良くなでてくれます。10月は雨の日ばかりでしたので、今月は出来るだけ園外出かけられるようにしていきたいと考えています。また、ジョイフルコンサートに向けて本格的に練習も始まってくることでしょう。
日々の練習を積み重ねながら幅広い豊かな経験をたくさんして一人一人の成長を確かなものにしていけるように指導していきます。ご理解、ご協力のほどを。

さて、今月は数年前にも紹介した岸本裕史著「どの子も伸びる幼児の学力」から『幼児期に獲得したい“ことば”』より◎学力を規定する語彙量です。著者はすでに亡くなられていますが、私の教育方針の一端を担っている方です。(とてもわかりやすく実践的な内容です。)
すべての学力の土台は、言語能力です。やがてわが子が小学校に上がったとき、すべての学力は、教科書を読んだり、先生の話を聞いたり、字を覚えたり、数を使ったりすることを通して獲得されます。言葉を通じてこそ、学力は身についていくのです。言葉を持たない動物は、学力を身につけることはできません。学力は、人間だけが持っている特別な能力なのです。
学力の高い子どもは、言葉が豊かです。小学校に入学したとき、語彙の多い子は7000語、普通の子は3500語、少ない子は2000語ほどの語彙を持っています。小学校入学までに身につけている語彙の量と学力は、ほぼ比例しています。たくさんの語彙を持っている子は、知識が豊富で、いろんなことを知っています。幼児期に語彙をたくさん身につけて育った子は、ほとんどが学力の高い子になっています。
子どもの言語能力は、幼児期においては主として親の言葉づかいの質に規定されます。けっして量ではありません。おしゃべりなお母さんやお父さんの子どもが必ずしも豊富な語彙を持つかといえば、そうではありません。
言語能力の高い子は、複文構造的な話し方ができます。「今日は日曜日である」「遊園地に行きたい」
「天気がよい」「家族で遊びたい」といった4つの文を、「今日は日曜日で、お天気もいいから、みんなで遊園地に行きたいな」と、一つにまとめて言うことができるのです。主語・述語があり、助詞や助動詞もちゃんと使っています。こうした話し方のできる子どもは、論理的に思考する力も自ずと発達していきます。

幼児の頃から複文構造的な話し方ができる子は、小学校で教わることはちっとも難しいとは思いません。ところが、複文構造的な話し方のできない子どもは、論理的に思考するのが少し難しくなります。このことは、入学後、先生の説明を聞いたり、教科書を読むことを通して学力を得ていくうえで、かなり不利だと言えます。    以 上

年長組の子ども達が就学前の健康診断を受けて「僕は○○小学校に行くんだ」「私は○○小学校よ」と話しながら、進学に向けての期待や不安が少しずつ出てきているようです。幼児ながら色々と思い悩むことがある事でしょう。想像がつきにくい世界に不安になっていても何も解決はしません。
大切なことは親子共々目の前の事を疎かにせず一つ一つを大切にして取り組んでほしいと思います。どんな事にもまず目の前の事からと考えていれば時間がかかっても必ず解決するものです。忙しい、時間がないと言っていては何も出来ません。慌てず騒がずじっくり取り組む姿勢こそが重要です。

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2017年 10月

朝晩はだいぶひんやりとしてきました。日中も吹く風がとても心地良く感じられます。
運動会はもちろんのこと、戸外での活動には絶好の時期です。天気の良い日には外でのあそびや園外保育をたくさんして、子どもたちの「動線」をうんと広げてやりたいと思います。
今月からは園生活の後半に入っていきます。一人一人の成長を大切に見守り、育んでいきたいと思います。ご理解、ご協力のほどを。

さて今月は“父親の七つの行動”―お父さん、今こそあなたの出番ですー七田眞著海竜社より「お父さんなら、子どもがどのように育つことを望みますか」を紹介します。

アフリカ系アメリカ人のルース・シモンズさんは、テキサス州の、ある貧しい農夫の娘でした。ルースさんの母親は、彼女が小さなときから、このように言い聞かせていたと言います。
「人間として、正しく生きていくことが大切です。そのためには、次の三つを忘れないようにしなさい。
・人間的な強さを持つこと  ・道徳心を持つこと  ・人間関係を大切にすること」
彼女は母親の言葉をしっかりと覚えていて、何事にも全力をあげて、一生懸命取り組みました。そしていつしか、学問をすることで身を立て、社会に役立つ立派な人間になりたいと、思うようになりました。それは周りからの称賛や、ただ単に教養を身に着けるためではなく、母親の教えを目標に頑張ったからだと言います。
ルースさんは、十二歳のときすでに、「いつかは大学の学長になりたい」という夢を持ち、そのとおり、女性でありながら、黒人でありながら、マサチューセッツ州の名門女子大学、スミス・カレッジの学長になったのです。

ルースさんを学長に選んだ、スミス・カレッジ学長選考委員会は、選考の理由をこう述べています。
「最も可能性のある人物に、最もその可能性を発揮できる役を任せたかったのです。彼女の可能性とは、その強さであり、優秀な学問実績であり、人間的魅力です。」
ルースさんの例は、子どもの成長に、親の教えや態度が、実に大きな影響を及ぼすこと、小さい頃から大きな志を持って努力することが、いかに大切であることを示唆しています。
ルースさんは、小さいときから母親に、人間として正しく生きる道や道徳心を教えられ、大きな目標を持って頑張ったがために、大成したのだと思います。人は誰でも、いい人生を生きたいと願っています。幸せになりたいと思っています。まして親は子どもに、いい人生を歩んで欲しいと切に願っています。
しかし、とてもいいとは言えないような人生を歩む人、自ら破滅の道を選んでしまう人も少なくありません。なぜ、そのような誤った道を選んでしまうのでしょうか。
この本でたびたびお話ししているように、子どもの人格は、ごく幼い頃に形成されます。親がどのような人生観や哲学を持って、子どもに接し、教えていくかによって、その子の人生を左右しかねないのです。子どもの人格や能力は、親の育て方によって、生まれてからどんどん、差がついていってしまうものなのです。
「まだ小さいから、わからないだろう」と、生きる道を語ることを避けてはいませんか。小さくても、教えるべきことは教え、伝えるべきことは伝えると、子どもはしっかりと、その教えを胸に刻んでくるものです。親が子どもを、夢や希望、志を持つように育てることで、その子は将来、必ず大きな花を咲かせることでしょう。    以 上

私が理想とする子孫に残すべき財産は、金銭や物質的なのではなく、親自身の生き方を見せていくことだと思います。その生き方とは中々難しく、時には照れくさい時もありますが、大人として、人としての行動をする時に損得を優先するのではなく、まず善悪を第一に考えて行動をすることと考えます。小さな事を疎かにせず、親自身が自己肯定感が持てるような行動をしてまいりましょう。子どもは親の後姿をよく見ているものです。よろしくお願いいたします。

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2017年 9月

充実の2学期がスタートしました。遠足や運動会、音楽会等の大きな行事や活動を通して子ども達の成長が著しく見られる時期です。一人ひとりの思いや願いを十分に受け止めて、豊かで楽しい園生活が過ごせるよう援助をしていきます。ご理解・ご協力のほどを。

さて、今月は水谷修著「夜回り先生 いのちの授業」日本評論社から礼儀作法を身につける―節度を守って行動をするを紹介いたします。

君たちは礼儀作法という言葉を知っていますか。これは、自分と相手がいるところには必ず発生するもので、お互いにこころ豊かな時間を過ごすための節度を守った対応のことです。今、私たちのまわりから、気づかいともいえる、礼儀作法がどんどん失われています。
大阪の電車の中で見かけた高校生は、4人がけのボックス席に2人で座り足を前の席に投げ出していました。一人は熱心にメールを打ち、一人は携帯電話で話をしていました。すぐそばには、おばあちゃんが重い荷物を持ってつらそうに立っています。
私はすぐに彼らのところに行き、メールや電話をやめて足を座席から下ろすように頼みました。彼らは迷惑そうな顔をして渋々ながらも従ってくれましたので、空いた席にはおばあちゃんが座って荷物も置けました。2人は次の駅で降りましたが、私に「くそじじい」とひと言投げかけることを忘れませんでした。礼儀を知らない彼らの、哀しい例です。

一方で、礼儀や気配りに感動した例もあります。
講演で四国の松山に向かう時のことでした。羽田空港で松山に帰る修学旅行の高校生たちと出会いました。空港内は混雑していたのですが、飛行機の搭乗口近くで何人かの生徒が席に座ろうとすると、ある一人の生徒が「みんな、席に座れない人がいるから、僕たちは床に座ろう」と声をかけ、通行する人の邪魔にならにようにみんなが壁際に2列になって静かに座りました。そこでも、だれも携帯電話やゲーム機を手にすることはなく、旅先で手に入れたパンフレットを何人かで見ながら、楽しそうに話をしていました。
私もまわりの多くの大人たちも、感動しながら彼らを優しく見つめていました。
松山空港に到着して飛行機を降りる時も、一人ひとりが搭乗係員の人たちに深くお辞儀をしながら、「ありがとうございました」とお礼の言葉を口にしていました。すばらしい生徒たちでした。私は空港を出る時に、彼らに向かって深くお辞儀をし、「ありがとう」とお礼をいいました。

礼儀作法というものは、私たち人間が先祖代々、他の人に迷惑をかけないように、嫌な想いをさせないようにと歴史の中でつくり上げてきたものです。
日々を礼儀正しく、きちんと生きることの中で、こころを大切にしてください。   以 上

挨拶がきちんとできる。お礼を正しく言える。遊具や道具を丁寧に扱える。仲間を大切にし時には助けようとする行動ができる…etc。誰もが元々持っている資質です。面倒がらずに照れずに正しいと思う行動をするように心がけていると気持ちが良くなり、何事にも前向きに考えられるようになると思います。
つくしの幼稚園の保護者の皆様は皆さん前向きな方々ですもんね。

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2017年 8月

明日から長い夏休みになりますね。事故などに遭わぬよう、そして夏休みならではの体験ができることをお祈りしております。

今月は、清水克彦著「女の子が幸せに育つパパの習慣」PHPより43『約束はきちんと守る』を紹介いたします。
職場で信用される人は約束をきちんと守る人です。いくらスキルが高くても、約束を守れない人は信用されません。
それも、納期までに商品を収めるとか、アポイントの時間を守るといったビジネスに直結することだけでなく、「では、明日、どこで宴会をするか、メールしておきますよ」などといった小さな約束をしっかり果たすことが大切です。なぜなら、その姿勢が、その人の礼儀や節度、気高さや人徳のバロメーターになるからです。

子どもとの接し方も同じです。「あの人は信用できる人だ。あの人に任せておけば大丈夫」第三者から、このように思われる人間に育てるには、パパが子どもの前で、たとえ小さな約束でも守ること、そして、約束を守れなかったときは、けっしてごまかさないことが重要になります。私は日頃、記者やニュースデスクとして、数多くの政治家や官僚と接していますが、彼(彼女)らのなかに、どこか信用できず、品格を感じない人が存在するのは、選挙公約を平気で破ったり、政策の効果が上がらなくても、難解な言葉を駆使してごまかそうとするからです。 子どもはパパとの約束を驚くほど覚えています。特に女の子は、「よく、そんなことまで・・・」と思ってしまうほど記憶しているものです。

「今度の土曜日、デパートに洋服を買いに行こう」「一学期、成績が少しでもアップしていたら、夏は家族旅行で好きなところに連れて行ってあげる」このような約束をした場合、土曜日にはデパートに行き、努力して成績を上げたのなら、夏休みは女の子が希望する場所に出かけてください。

私もときおりやってしまうのですが、パパのなかには、ビジネスでの約束は覚えていても、妻子との約束はすっかり忘れてしまうという人がいます。
先に挙げた例で言えば、デパートに行くはずだった土曜日に同僚とゴルフの予定を入れてしまったとか、「〇〇ちゃんのすきなところに」などと言いながら、結局は自分が急に行きたいと思った場所にしてしまうと、女の子からの信用はがた落ちになってしまいます。日頃パパが、「約束をしっかり守ることができる人間になろうね」などと語っていたとしても、「パパがいう約束って、この程度のものか・・・」と感じてしまい、説得力を失います。
「約束というのはとても大切なもの」ということを、女の子の心に焼きつけるためには、まず、パパが、家族との約束をきちんと守る姿勢を見せましょう。
〇できない約束、実現が難しそうな約束はしない
〇約束をしたら、それをカレンダーやスマートフォンのスケジュール欄に書き込んでおく

最低限、この二つに留意していただけたらと思います。それでも、万が一、忘れたり、どうしても変更しなければならなくなったりするケースが生じたら、ごまかそうとせず、きちんと謝る、理由をしっかり説明する、そして、代替案を提示することが重要です。    以 上

「誠意」「誠実」の『誠』は言うを成すと書きます。つまり言っていることとやっていることが同じだという意味です。これを「言行一致」とも言います。中々難しいことですが、「あの人は誠実な人だ」とか「誠意のある人だ」と人から信用されるには、言行一致しかありません。お互いに目指したいものですね。

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2017年 7月

早いですね。今月で1学期終了です。登園日数も12〜13日となりました。ここまであっという間でしたね。日々を大切にして過ごしてまいりましょう。

さて、今月は先日ご講演をいただいた原坂一郎先生の「男の子のしつけに悩んだら読む本」すばる舎から 『叱らなくても、しつけはできます★穏やかに、繰り返し言うだけでいい』を紹介いたします。

世の中には、「しつけ=厳しく言うこと」だと思っている人が、ずいぶんたくさんいます。子どもを強く叱っている母親は、「あのお母さん、ちゃんとしつけているわ」「親も大変ね」などと好意的に見られることが多いようです。
そのため、人前では必要以上に子どもをきつく叱ってしまう、というお母さんも多いでしょう。
けれども、厳しく叱らなければしつけができない、ということは決してありません。それどころか、穏やかに言われ続けた子どもの方が、結果的にちゃんとしつけられていることが多いのです。 私がバス通勤をしていたある日のこと。バスに乗り込んだ3歳ぐらいの男の子が、通路をウロウロと走り回っていました。
そのお母さんは、「何してんの!そんなとこいたら邪魔でしょ!」と大きな声で叱り、強引に子どもの手を引いて座席に座らせました。
その次の日、今度は4歳くらいの男の子が乗り込み、やはり通路をいつまでもウロウロ歩くという、偶然まったく昨日と同じようなシチュエーションになりました。
でも、そのお母さんは、「みんなの邪魔になるよ。こっちへおいで」と、穏やかな口調で息子を呼び、自分の隣に座らせました。
前者のお母さんは一見、いかにも「ちゃんとしつけている」ように見えるかもしれません。
でも、あの男の子は、とりあえず怒鳴られたからウロウロしなくなり、手を引っ張られたから座っただけで、いずれも納得して自分の意思でしたわけではありません。きっと次の日も同じことをします。
もしくは、そんなふうに怒る人がいない場合、たとえば親戚のおばさんと乗ったときなどには、また同じことをします。
一方、ウロウロしていたら「みんなの邪魔になる」ことを教えられ、こっちへ、と呼ばれて自分でちゃんと席に座ったあの男の子は、次からは、ウロウロせずに席に座る確率は、前者の男の子の何倍も高くなります。その場に怒る人がいなくてもです。    以 上

親の恐怖や脅しで言うことを聞く時期は幼いうちだけです。人は体が大きくなると同時に心も発達をしていくものです。いつまでも幼稚ではありません。少しずつ正しい「損得」や「善悪」の判断が出来るようになります。そうなると恐怖や脅しに対する身の処し方も身に付けるものです。
幼児期に正しく躾られた人はそれが財産となり、その後の人生を豊かに過ごすことができる割合が高くなります。(世界的に学術論文が多数発表されています)
「三つ子の魂百までも」と言われる所以ですね。そして一番手っ取り早い躾の方法は親自身が行動で示すことだと思います。
「子どもや親の言うことはしないが親のやることをやる」ですから。

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2017年 6月

しばらくするとうっとうしい入梅になることでしょう。じめじめしているだけでなんとなく憂鬱になってしまいますね。そんな中でも子ども達の園生活はだいぶ活発になり、友達の名前もかなり出てくるようになってくることでしょう。反面、室内で遊ぶことが多くなる時期でもありますので、友達同士のトラブルもつきものです。一人ひとりに丁寧に対応をし、思いや願いをしっかりと受け入れていきたいと思います。ご理解ご協力のほどを。

さて今月は、佐々木正美著、相田みつを書「自分の番を生きるということ」小学館から『子供へ一首』を紹介致します。

子供へ一首
どのような
道を
どのように歩くとも
いのちいっぱい
に生きれば
いいぞ


孫に対して厳しい祖父母が増えています。孫のあるがままを認めて受け入れることができずに、孫に対して注意や指示をする祖父母が多いのです。昔は、祖父母というものは、父親や母親と違って、孫を猫かわいがりしたり、目に入れても痛くないほどかわいがっていたものです。
仕事や家事に追われている親たちに比べて、時間にも心にも余裕がある祖父母だからこそできる接し方があります。お孫さんの将来も大切ですが、お孫さんとのいまを大切にして、その存在をすべて受け入れる気持ちで接していただきたいと思います。孫と過ごして遊べる時間は、わが子を育てた時間よりずっと短く、とても貴重な時間です。私たち夫婦は、私の両親と長男が生まれる直前に同居を始めました。母は自分の子どもをかわいがったように、私たちの子どもをかわいがってくれましたが、じつは父のほうが母よりもっと孫を溺愛しました。孫の希望を拒否したり、否定したりしたことは、私たちが知る限り一度もありませんでした。「何を頼んでも必ず言う事を聞いてくれた」と、3人の息子たちは口をそろえて言っています。父は天気が良ければ、孫たちにせがまれるままに近くの公園に出かけて、ブランコに乗せたり、滑り台を楽しませたりしていました。それが毎日のことでもいっこうに気に入らない様子でした。電車好きの長男には踏み切りのそばに行って、長男が「もういい」と言うまで電車を見せることよりもよくありました。孫がうれしそうにしている姿を見ていることが、父の喜びだったのです。やがて、父も母も、孫たちの成長にともなって老いてきました。孫の要望に応えるようなことは何もできなくなり、それどころか徐々に日常生活が孫の手を借りなければ維持できなくなっていきました。最後は老人クラブに通うのも、孫に支えられてでないとできなくなりました。そして、ついには、小学校高学年から中学生になった孫たちに、あれこれ頼みながらの生活となってしまいました。そんな毎日を送る中で、私たち夫婦を驚かせたのは、息子たちがそうした祖父母の頼みをすぐに実行に移すことでした。親の頼みや願いを拒否することはあっても、祖父母の要求や依頼に対しては、決して「あとで」とか、「いや」とは言わないうえに、わずらわしいというような素振りもまったくしなかったのです。私たち夫婦は冗談混じりに、「子どもたちにはおじいちゃん、おばあちゃんから言ってもらったり、頼んでもらったりするのがいいね」と話していたものです。

人は、相手の言うことを拒否しないで受け入れ続ければ、相手もこちらの言うことを拒否したり否定したりすることはありません。まるごとの自分を受け入れてくれる、その経験があって、初めて人を信じることができる。こういう人間関係の原則的なことを、私は両親から教えられた気がします。
父も母も、その晩年は「孫に恵まれました、孫に恵まれました」と言いながら、天寿を全うしていきました。そのことは、私の子どもたちが、母方の祖父母のことも含めて同じように、4人の祖父母に恵まれたという思い出であることと同義であるとおもいます。    以 上

「育てたように子は育つ」と言われています。だから人は自分がしてもらったことを人にするものなんですね。

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